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遺品整理の成功談

ケルン大聖堂は双塔の高さが東京の霞が関ビルよりも高い一五七m、奥行きが一四四m、幅が八六mの聖堂である。 一二四八年に着工してから、六OO年の年月をかけて一八八O年に竣工したといわれるゴシック建築のカトリック寺院で、内部の祭壇やステンドグラスが美しかった。
私は一九九五年八月にこの大聖堂を訪ねたが、荘厳な古い寺院のたたずまいとは裏腹に、大聖堂前の広場に散乱していたゴミの多さには驚いた。 広場一面に投げ捨てられた空きびん、空き缶や紙コップ、タバコの空き箱と吸殻、菓子の空き袋のなかを観光客や地元の若者が歩いているのである。
あまりにも投げ捨てられたゴミが多いので土産物庖の人に尋ねたら、前日この広場でロックバンドの大会があり、多くの市民が集まって夜遅くまで楽しんだが、広場に泊り込んだ若者もいたとのことであった。 大聖堂のすぐそばにあるケルン中央駅前の広場にも、同じようなゴミが一面に散乱していた。
それにしても、資源ゴミのリサイクルにあれほど熱心なドイツ国民が、どうして街中のゴミのポイ捨てには無関心なのか。 いまだに納得がいかない光景であった。
フランスの首都パリフランスの首都であるパリ市は、面積が約一O五で、市域の人口が約二二O万人のヨーロッパ屈指の大都市ゴミと環境美化・海外の取組みである。 私は一九九五年八月にパリを訪ねて、この街の清掃、美化の様子を見て歩いた。

パリの市街地はイギリス海峡に注ぐセ−ヌ川の流域にあって、街はセ−ヌ川を境にして北側がセ−ヌ川右岸、南側がセ−ヌ川左岸と呼ばれている。 パリでは古くからセ−ヌ川の水を飲料水として使っており、ナポレオンの時代から汚水やゴミによるセ1ヌ川の汚染が問題になっていたといわれている。
パリの道路には、車道にも歩道にもタバコの吸殻がたくさん投げ捨ててある。 道路を清掃している市の清掃員は、朝早くから道路に散乱しているゴミをセ−ヌ川から汲み上げた水で洗い流して、下水道に流し込んでいる。
洗い流されたゴミは大きい下水管を通って下水処理場に集められ、そこでゴミが取り除かれるらしい。 日本ではパリの人たちにとっては日常的なことである。
201 考えられない清掃風景であるが、パリ市内の審による街路の清掃シャンゼリゼ大通りの清掃有名な凱旋門があるシヤルル・ドゴ−ル広場から、東南方向にあるコンコルド広場までの一七OOmにおよぶ広い通りが、海外からの観光客やパリジェンヌでにぎわうシャンゼリゼ大通りである。 この通りも、パリ市の清掃員たちのたゆまぬ努力で清潔さと美しさが保持されていることがわかった。
私もシャンゼリゼ通りで、帯でゴミや落ち葉を集めている緑色の作業服を着た若い女性を見かけた。 彼女も世界中の女性が憧れるパリジェンヌの一人であろうが黙々と作業を続けていた。
シャンゼリゼ通りの歩道では緑色に塗られた小型の清掃車をよく見かける。 この清掃車には、吸引ホースで歩道のゴミを吸い取る車と、車の後部にゴミ箱を積んで帯で集めたゴミを運ぶ車の二種類がある。
いずれも日本の軽自動車クラスの車である。 シャンゼリゼの歩道を清掃する小型清掃車、シャンゼリゼの歩道を清掃する小型清掃車、日本をはじめとして、どこの園でも幹線道路に落ちているゴミを吸引して清掃する大型の清掃車はよく見かけるが、歩道に上がって清掃する小型の清掃車は極めて珍しい。

日本でもこうした車を採用すれば、歩道の清掃も容易であろうにと感心した。 パリ市内には、れる観光客も多かったがゴミも多かった。
パリ市内には美しい公園がたくさんある。 リュクサンプ−ル宮殿の庭として造られ、パリで最も美しいといわれるリュクサンプ−ル公園、パリの中心地ともいえるコンコルド広場と著名なルーブル美術館の近くにある広々としたチュイルリ1公園、エッフェル塔と陸軍士官学校の建物との間にあるシャン・ド・マルス公園など、美しいずれの公園にも圏内には多くのゴミ箱が置いてあるが、なかにはゴミが通路にあ一三ニO年に完成したノ1トルダム寺院をはじめとして、伝統ある美しい教会が多くあり、訪くして、閑静な公園である。
ふれ出ているものもあった。 いくつかの公園で、市の清掃員が緑色に塗ったトラックでゴミ箱に入っているゴミや落ち葉を集めているのを見たが、パリの市民や観光客はきれいな公園のなかでも安易にゴミを投げ捨てており、パリ市当局は懸命になってこれらのゴミを収集して、公園の美化に努めている、というのがパリの美しい公園の実情のようである。
ゴミ箱の効用ゴミ箱を見直そうゴミを集めて保管するためのゴミ箱は、日本ではいつごろから登場してきたのだろうか。 江戸時代の都市文化を詳しく解説している『江戸学事典』(弘文堂)には、江戸の町並みに詳しいT芸大学名誉教授のT氏が、将軍・徳川家斉の文政(一八一八から一八二九年)期に庶民が借りて住んでいた長屋の構造を「根津門前町貸長屋」を例にして、平面図を基に詳しく紹介している。
すなわち、間口が一五間(約二七m)、奥行きが二O間(約三六m)で、敷地の面積が約三OO坪(約九七od)のこの長屋には、二七戸の貸庄が建っており、そこに共同井戸が一か所、共同便所が三か所、芥溜(ごみため)が一か所あったと記載している。 このような芥溜が、いつごろからゴミ箱と呼ばれるようになってきたかははっきりしないが、いずれにしても主として台所から出る残飯や野菜くずなどの厨芥(生ゴミ)を一時的に保管するために設けた、木製の囲いか箱であって、悪臭とハエの発生を防ぐためにおそらく蓋が付いていたのではないかと思われる。
この長屋の芥溜は一か所だけであるが、大きい武家屋敷や商家では各戸に一か所のゴミ溜が、おそらく道路に面した勝手口の外に置かれていたのではあるまいか。 なお、町家や武家屋敷に置かれたゴミ箱に入っていたゴミの始末は、おそらく近郷の農家が馬車や車力で集めて、家畜の飼料か作物の肥料に活用したと考えられる。
家庭のゴミ箱のほかに、公園や広場にタバコの吸殻や空き箱、紙くずなどを入れるためのゴミ箱、というよりさまざまなゴミの容器が置かれるようになったのはかなり後のことであろう。 これらの場所に置かれたゴミ箱には、木製のほかに陶製や金属製のものもあったと思われる。

最近では、全国どこの町でもゴミはゴミ袋に入れて出し、市町村がパッカ−車やトラックで収集するように変わってきたから、町のどこを探しても昔の木製ゴミ箱を見ることはできなくなった。 最近、わが国では昔あった各家庭ごとのゴミ箱がなくなってきた。
また、公園や観光地、道路等からもゴミ箱が姿を消してきたように思う。 ゴミ箱を置くと、ゴミ箱のなかに入っている厨芥が野犬や猫、カラスに荒らされて、地面にゴミが散乱するからである。
また、市町村などがゴミ箱を置くと付近の住民が家庭のゴミを入れるからだといわれている。 岩国市は一九九三(平成五)年度に市内の代表的な観光地である「錦帯橋」周辺ほか一三O余か所の公園などに置かれていたゴミ箱約二八O個をすべて撤去した。
なお、「錦帯橋」 は毛利藩の支藩であった岩国藩の藩主・吉川広嘉が一六七三{延宝元)年に建造した、居城と城下町の聞を流れる錦川に架かる五つのア−チ型の木橋で、国が名勝に指定している。


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